野田サトルのブログ
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覚悟

12/11/2014

 
前作「スピナマラダ!」の話。

駒澤の陸トレの様子。死にかけているのは全員一年生。取材時は4月で入部したてなのだから無理もない。
緊張と不安が入り混じった顔が印象に残っている。

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徹底してやり抜く覚悟。

彼らにとってはすごく辛い3年間だが、充実しているに違いない。
自分は中学のとき部活で陸上をやっていたが、練習は放課後の3時間程度。引退したときは何の感傷も無かった。
本気でその競技に生活を捧げていなかったのだから当然だ。


地元の陸上競技大会で毎回ダントツの差をつけて優勝する有名な選手がいた。
1500Mで二位の選手と半周くらいの差をつけて勝つような。
彼の走る時間は大会で一番盛り上がった。
練習時間もケタ違いらしく、近くで見るとタメとは思えない体つきをしており、こんなすごい人間がいるのかと戦慄した。
いまから考えれば、たかだか札幌市内の大会だが、全道大会すら行けない、しょぼい子供にとっては世界の全てだった。
その後、彼は当然ながら1500Mで中学の全国大会まで行った。
しかしもっと驚いたのが、全国大会での彼の成績が4位だったのだ。

あのバケモノより早い奴が3人もいるのかと途方にくれた。
サンタナがカーズたちによって、ただの若造よばわりされた時の気分だった。

日本代表になるようなスポーツ選手の凄みを、低い低いレベルだが実感した。




さて、スピナマラダの本編で描こうと思ったが地味すぎてボツにした陸トレのネタがある。取材で実際に見た練習だ。
一周50秒ほどで走りきる山道のコースがあって、50秒を切れなければもう一度走り、
さらに切れなければもう一本。それで切れなければ・・・・
と延々走らされる過酷なメニューがあった。
全力で50秒。陸上競技でいうところの400メートル走だ。
これがいかにキツい距離なのかに関してはスピナマラダ3巻の冒頭に詳しく書いてある。
当然走れば走るほど体力が消耗するので、どう考えても終わらない。
しかし先生は妥協しない。絶対にタイムを切るまで走らせる。
結局どうするかというと、先輩たちがコースに等間隔で待ち構え、
ヘロヘロの一年生の腕をつかみ、引っ張り、リレーのバトンのように受け継いで走るのだ。
それで全員が無事タイムを切ったあとの様子が上の写真だ。
こんなのは陸トレのほんの一場面。こんなのが何時間も続き、それが毎日。三年間。
とある駒澤OBの選手が関東の大学チームに入って高校時代の練習内容をチームメイトに話しても、みんな「うそだろ?」と信じてくれなかったらしい。



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優勝する覚悟を持って準備するというのはこういうことなのだ。


ちなみにそのOBの方をYさんとする。
釧路出身で中学ではキャプテン。全国大会でも優勝した実績があるのにもかかわらず
素行が悪すぎて釧路ではどこの高校も受け入れてくれなかったのだが、駒澤だけが欲しいと言ってくれた。
しかし当時すでに駒澤の練習の厳しさは有名であったため、やっていく自信がなかった。
一年生の時は同年代と比べても足が遅く、演習林の
ランニングではいつもビリで付いていけなかった。
先生は森に隠れて双眼鏡で監視してくるのだが、隙を突いてはカメラのフィルムケースに水を忍ばせて飲んでいたそうだ。

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山王坂道ダッシュでは社殿にタッチするのを阻止してくる相手にカッとなったのか唾を吐きかけてしまい
それを見た
先生にビンタを食らったのだが、さらにその先生にまでタックルを食らわし、
二人で抱き合ったまま山王神社の崖のような坂道を転げ落ちた。めちゃくちゃな問題児だ、

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辛くて逃げ出したくて何度も親に泣き付いたらしい。
ある合宿で夜中、トイレから妙な音が聞こえてきた。
「カラカラ」「カラカラ」

ずっとトイレットペーパーの回る音がする。変だなあ、おかしいなーおかしいなー
やだなあ、こわいなあ。
トイレの個室を開けてみたらチームメイトがトイレットペーパーまみれでブツブツ言っていたらしい。
極限状態まで追い詰める過酷な日々。
「
月曜日が来るからサザエさんが怖くて見られなかった」 (これを話してくれたときは本当に笑った。)
オープニングの曲が流れると同じ寮の卓球部が面白がって知らせにくるらしく、Yさんは布団をかぶって悲鳴を上げていたそうだ。

しかしそれでもYさんは1年生の時、インターハイでベンチ入りした。
四つ目のラインで氷上に出る時間はほとんど無かったそうだが、当時駒澤は9連覇中の絶対王者。
そのベンチに一年で入ってるのだからすごい。

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10連覇のかかった大会。
試合は準決勝。第1ピリオド2-0でリードしていたが第2ピリオドで4点奪われ、1点返すものの3-4。
しかし第3ピリオドで同点に追いつき4-4。勝負は決まらず10分間の延長戦に入る。(得点した時点で終了するサドンデスではない)
延長戦五分過ぎで駒澤がゴール。勝負を決めたかに見えた。ベンチの先輩たちは涙を流していたそうだ。

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しかしYさんはそれを見て「やばい」と思った。「勝ったつもりで油断している」
案の定、そのあと同点に追いつかれ10分間の延長戦は終了。
そしてなんとゲームウイニングショット戦(サッカーでいうところのPK戦)で負けてしまったのだ。
もはや全員涙も出なかったそうだ。先生も選手も一切しゃべらず帰った。
そして別れ際、最後に先生がおっしゃったひとこと。

「分ってんべ?」

これだけだったそうだ。
叱るわけでもなく慰めるわけでもなく、三年間の最後の試合でかけた言葉
が、このひとことだった。

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この言葉の意味をYさんが教えてくれた。

とにかく先輩たちが練習で楽をしようとするのだと。
ランニングでも先生の眼を盗んでは近道を通ったり。サボり癖が蔓延していた。
そんな先輩たちを後輩も信頼できるはずが無く、チームの仲は最悪だったそうだ。


優勝する覚悟が無かったのだ。


先生はそれに気付いていたのかもしれない。気付いていたが修正に間に合わなかったのだろうか。
「たまたまそういう選手が集まってしまったのでしょうか。豊作の年があれば不作の年があるみたいな。」
そう聞いてみたが、その質問に先生がどう答えたかは書かないでおく。

翌年、Yさんたちを主力とした駒澤は王座を奪い返し、そこからまた連覇が始まった。
Yさんは三年生で駒澤のキャプテンとなる。釧路出身者としては初のキャプテンだった。


現在Yさんは日本代表選手だ。







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    週刊ヤングジャンプ
    「ゴールデンカムイ」連載中

    既刊
    「スピナマラダ!」全6巻

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