野田サトルのブログ
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チカパシについて

7/7/2016

 
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チカパシという名前は本編で「陰茎を立てる」という和訳を採用したが
本来は チカプ=鳥 という意味で、陰茎というのは暗喩だ。


吉田巌氏「アイヌ史資料集」の中に
「珍奇な名前」としてチカパシは取り上げられており
その本での和訳は




















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見た瞬間「いい名前だ」とつぶやいた。
まさに勃起じゃないか。ぜひ谷垣と引きあわせたいと思った。

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チカパシはいつも顔が汚い。
スヌーピーにいつも汚い子供が出て来ますね。

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こんな奴。
いつもホコリが立っている男の子。名前がピッグペン(豚小屋)。
あの漫画もなかなか闇が深いようで、愚痴っぽく冴えない主人公は奥さんに虐待されていた作者本人がモデルだし
ピッグペンもアニメでは家族が洗っても、すぐ汚れる子というエピソードをとってつけたように描いてたけど、

実際は作者の近所の育児放棄された友達がモデルなんじゃないかと予想してる。


さてチカパシが出てくる回を描いて、ちょっと不思議な事があったので
ブログの記事にした。

8巻ではチカパシが見てる前で、谷垣が子鹿を倒し、解体する。
そしてアシリパさんの叔父が前足を切り取り、
「筋肉だけでつながってるから簡単に外れる」
という話しをする。
これは正月に狩猟へついて行った時、猟師さんが教えてくれた。



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チカパシは疱瘡で家族を失い、彼だけ生き残り
ひとりぼっちであるという過去が明かされる。


疱瘡は感染力が非常に強く
たしか増毛にあったコタンだったか疱瘡で滅んだアイヌの村もあったようだ。
狩猟をするため家族で山へ入ることはよくあり、そこで家族の誰かが疱瘡にかかったら
病人は小屋に置いてゆき、他の人間も村に戻れず潜伏期間が過ぎるまで山をさまよったそうで。
感染すること無く生き残った家族が村へ戻っても「なぜ戻ってきた。うつす気か。」と罵倒されたという記録がある。







さて・・・不思議な話とはここからなのだが
チカパシを描いた後に、アイヌの昔話が書かれた古い本を見つけた。
その中に、疱瘡の神様の話が書いてあったので簡単に説明する。


アイヌの男の子がおじさんと山へ狩猟に行くと疱瘡の神様たちが川を上ってきた。
神様たちが食料をわけてくれと頼むと、おじさんは少年に子鹿の前足だけ持って行かせる。

少年はこれじゃ皆で食べるには足りないだろうと思いつつも疱瘡の神様に差し上げた。
その疱瘡の神様が言うには、
「実はお前の家族は我々が全員殺した。ケチなおじさんも殺す。
でもお前は助けてやろう。」そして少年は一人で山を下り生き残る。
という内容。

これを読んだとき、「これは描かされているな」と感じた。



ゴールデンカムイではこういう偶然が結構あって上手く行ってきた部分がある。
わりと適当に決めたことが後々うまく設定にはまってることがあったりもする。
何かは教えませんけど。

自分はこういったサインを大事にしながら作品を描いている。
チカパシのようなことがあると、
「この作品は間違ってない。きっと上手く行く」と
ポジティブに考える事ができる。
毎週、「この選択は正しいのだろうか、あとあと矛盾が生まれないだろうか」などと
悩みながら漫画を描いてる時にこういうことがあると心強い。













チカパシのマキリ。
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あとぜんぜん違う話だけど
これの元ネタは「モト冬樹」だ。

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というかモト冬樹もおそらく「世界まる見え」で
海外のストリートパフォーマーがやっていたの
を観て真似したんだろうと思う。2、30年前に自分もそれ観てたから。

サカナクションのPVは一度も観たこと無いけど、
作ってるひとが自分と同世代なのかなと思う。

次号  狩猟の為  休載です。

3/23/2016

 
後半 やや刺激の強い画像が含まれますので、
ご注意ください。


正月、狩猟にいってきた。
ちょこちょこと時間を見つけてブログを書いてて、もう3月。ちょっと長編になってしまった。


ところでまあ、これは普通に読めば分かる話なんだが、物語の中で「いま何月なのか」はどこにも書いてない。
具体的な暦(こよみ)を書いたことは一度もない。
もちろん意図があってのことです。

しかしヒントはある。アシリパさんは登場時「堅雪用のカンジキ」を持ってる。

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軟らかく深い雪用のカンジキはアイヌの民具で別にある。ひだりのですね。
やや気温が上がり堅雪になるのは2月後半くらい。
なので第一巻ではそのあたりといったところか。
凍裂現象も2月なら起こる。
北海道民に2月4日は暦の上では春ですと言ったら鼻で笑われるだろう。


ちなみにこのカンジキは二風谷のもの。アイヌの道具にも地域差がある。
アシリパさんの村は小樽近辺。
千葉大でアイヌ文化を研究している中川教授いわく、このあたりにアイヌがいたのは分かってますが
どんな生活をしていたのか資料がほぼ残されていないのだそうで、
逆を言うならアシリパさんのアイヌ知識は、なんでもありってことだ。
地域差を気にせずに、いろんなアイヌネタを出せるんですね。我ながら鉄壁のキャラ設定です。




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第二巻以降コタン滞在で、ある程度時間が経過してます。要所要所で時間は確実に経過してます。
第三巻ではカエデの樹液がしみ出て、つららが出来るのをアシリパさんたちが食べる。サルナシの水を飲む。
堅雪用のカンジキも履いている。
その描写から、3月のどこかです。
第二巻のどこかで3月にはとっくに入ってるつもりで読んでください。
川でカジカをとったあたりも
3月くらいにしときましょっか?
アシリパさんは「冬のカジカ」と言ってましたけど、
3月を春と言う道産子は、多くないと思う。
アイヌにとっては雪が消えかけてようやく冬の終わりと言うそうですし。



え?カジカの場面もサルナシの場面も3月に見えない?? 



じゃあ、ここで問題。さてこの画像は何月でしょうか?北海道占冠村在住のカメラマン・門間敬行さんから頂いた資料です。

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正解は 撮影日時4月16日です。

まあ場所によってぜんぜん融け具合も違うんですけどね。
札幌でも4月上旬なら雪が降るのは珍しくありません。
関東では入学式は桜のイメージが有りますが、道民には無いでしょう。
札幌近辺に住んでいた自分が「春だな・・・・」と実感してたのは雪が無くなり、桜の咲く5月くらいでしょうか。
春夏秋冬を言い分けるのは結局のところ、暦(こよみ)ではなくその土地に住んでる人間の主観です。



暦(こよみ)を明らかにしなかったのは
漫画の内容や絵だけで杉元たちが感じてる季節を読み取れるようにするほうがいいかなと思ったからです。
かつてのアイヌが自然の変化の中から時の流れを感じてきたように。
上手く描けてるかどうかは別として。


以上、北海道に20数年 生まれ育ったゴールデンカムイ作者の季節感に関するお話でした。




さて・・・・
朝、北海道へ到着すると、そのまま山へ。

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「ヒゲジイ」は60代後半のベテラン猟師である。

樺太アイヌの家系で
ロシア人に間違われるほどクドイ顔をしているけど日本語しか話せない。

顔を見た瞬間、映画の「スナッチ」や「ミッドナイトラン」に出てくる
俳優のデニス・ファリーナにそっくりだなと、思った。

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ヒゲジイには事前にゴールデンカ ムイを読んで頂いていた。
「話は文句なく面白いが狩猟描写が少ない」とおっしゃっていたと伝え聞いていたので、
ご本人に
「どんな描写を入れるべき だったのか、今後のために、是非ダメ出しが欲しい
自分は全然傷つきませんから教えて下さい。」と言った。
しかしヒゲジイは決してその場では言わず、
こちらが食い下がっても「思い出したら話す」と、はぐらかされた。
奥ゆか しい方だなと思った。


自分でも描写が足りないのはわかっていた。
テンポが大事な週刊連載にどこまで狩猟描写を盛り込むべきなのか。
じっくりやり過ぎても良くない。でも猟師が読んでも満足するような
キモとなる描写が一コマでもあればいい。





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ヒゲジイは3日前から山に入っていた。
初日に一頭倒せたが、おとついと昨日とボウズで収穫なし。

山の様子が変だとおっしゃっていた。全然鹿がいないと。
期待しないでくれとのこと。
獲れれば幸運な話なので、やっぱり期待した。
鹿も撃たれたくないから、猟師が登れない山の高いところへ逃げているとのこと。
知床で出会った老猟師もエゾシカは獲れないと言っていた。


案の定、全く鹿が見つからない。あっという間に時間が過ぎていく。
朝が早過ぎても鹿は動かない。日が出て暖かくなり
日が沈むまでのわずかな時間しか倒せるチャンスはない。16時を過ぎれば日が落ちる。
16時半には真っ暗になる。

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猟師があちこちにいて弾が飛んで来るから、あんまり離れてうろちょろするなと言われていた
そんな危険な山なのか。
ヒゲジイのプーマの帽子の黒豹が狙われないかヒヤヒヤする。



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自分は鹿の姿を見るどころか、小鳥すら見つけられない。
食べるものが全く無さそうな冬の森。この山に生き物がいるのか信じられなくなってきた。


しかし昼過ぎに鹿の残骸を発見。

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猟師が残したものを狐が食い散らかしたのだろうとのこと。
狐の足跡はたくさんある。
たしかに生き物はいる。


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ワシが飛んできた。

何度か、他の猟師さんたちが鹿の姿をみつけ、追いかけるのだが鹿が速すぎて逃げられる。

「とにかく速いんだ」とつぶやくヒゲジイ。




他の猟師が残した鹿の内臓の残骸も見つけた。
雪の地面に、ぽつんと真っ赤な内臓の塊だけが落ちているのは妙な光景だ。
昔、「山であった怖い話・まとめ」を読んでいて、
川岸に何かの内臓が山積みになっていて怖くて逃げたという話があったのだが、
それはたぶん猟師のしわざです。

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そんなこんなで、16時。
いよいよタイムリミット。
もう完全に諦めムードだった。
帰る道すがら鹿の姿を探している状態。

かなり落胆した。
ヒゲジイが「ついてない」と呟い た。
俺はついてないのか。




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ぼーっと森を観ていると鹿のシルエットが自分の目に飛び込んできた。
60メートルくらいだろうか。
思わず「いた!」っと言う。
しかしヒゲジイは、すでに横で銃を構えていた。

大きな発砲音。
そしてついに・・・・・。

勃起!

鹿の姿が倒れると、自分は原始人のように叫んでいた。
なん万年も前の男たちも狩りでこうやって喜びの雄叫びを上げたのかなと。

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ここから先、刺激の強い画像が含まれております。



ヒゲジイ 「小さいのはいつもは撃たねえんだけどな」

ボウズが続いたせいもあるし、東京から来た自分のためにも撃ってくれたんだと思う。感謝します。鹿にも。

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専用のナイフで毛皮を剥いでいくのだが、その早いこと。
手慣れたナイフ捌きで解体されていくので、写真を撮るのも忘れ、見入ってしまう。


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あっという間に脱がされていく。
温かいうちのほうが脱がしやすいんだとか。冷めると皮下脂肪が固まるからなのかも。

ヒゲジイいわく、ネイティブアメリカンのあいだで毛皮を剥ぐ行為を
女性の下着に例えられる。
その心は・・・・


「冷めると脱がしづらくなる」

HA!HA!HA!





解体する部位によってナイフを使い分ける。

丁寧に説明してくれるデニス。 いや、ヒゲジイ

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湯気が出るほど暖かい。

「鹿は死んでサトルを暖めた」
「鹿の体温がサトルに移りサトルを生かす」

と、ヒゲジイが言ったとか、言わなかったとか・・・。





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肝臓を取り出すヒゲジイ。



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何気なくやっていた、この毛皮のたたみ方も、聞けばアイヌの猟師しかやらないものだそうです。






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脳ミソが食べたい・・・・・・です。
というと他の猟師さんが取り出してくれた。ヒゲジイは流石に脳ミソは食べないと引いていた。
塩を忘れてめちゃくちゃ後悔した。絶対うまいはずだと思った。




一応言っておく
「野生動物の肝臓や脳ミソの生食はいけません」

残りの内臓は置いていく。
ヒゲジイ    「残していく猟師を悪く言う人もいるけど、一日やそこらでみんな鳥や狐たちが綺麗にしてくれる。」
      「それにアイヌは獲物を全部持ち帰らず、少し山に残しておく考え方がある。」

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山を降りて最初に見つけた明かりがセイコーマート。文明社会に戻った気がした。
セイコーマートさんは早い段階でゴールデンカムイを推すと言って頂いたコンビニだ。さすがセイコーマートさんやで。

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デニスは結局ゴールデンカムイに足りないものを言ってくれなかった。
でも鹿を倒し、解体する行為を通して充分教えてくれた。
漫画づくりに関して畑違いの人間が言葉でダメ出しするよりも、
実際に見て自分で感じたほうがいいということだったのだと思う。











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ありがとう、デニス・ファリーナ。



しかし運が良かった。鹿はこんなにも出会うのが難しいのか。
翌日、木の写真が欲しくて
森をさまよっていた。 ひとりで。



















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いた!!








キムンカムイ

9/24/2015

 




連載開始前、
登別にあるクマ牧場へ行ったときの画像を載せる。この時はひとりじゃない。カメラマンの松田氏と行った。
この動物園は登別温泉街のど真ん中からロープウェイに乗って山の頂上にある。

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時期は四月で、小熊がいた。
熊は冬に子供を産むので、春に行けば小熊が見られる。誰か産んでいたらの話しだが。
可愛かった。

こんな可愛い小熊なのに














こうなる。
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カメラマンの松田氏と、ひと袋200円の餌をたくさん買って
交互に投げ合い、くちを開けたところを撮影した。

作中や1巻の表紙のヒグマの絵はこうした努力で描かれている。

今回四巻から単行本に名前を入れさせてもらったが
作中に使った背景はカメラマンの松田氏と
北海道在住フリーカメラマンの門馬敬行さんが撮影した動植物の写真が多く使われている。
他にも北海道にいる兄や妹にも写真を撮りにいってもらうなど本当にたくさんの方の協力で作品が作られている。





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キムンカムイ「山の神」だけに、まさしく神セブン・・・・つってね










クマ牧場の中には世界で唯一のヒグマ専門の博物館がある。

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展望台からは日本屈指の透明度のクッタラ湖が見える。
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ほかにもアイヌ生活資料館があり、
明治初期のアイヌの生活様式を再現した
「ユーカラの里」という施設もある。
※10月21日~4月末まで閉村

いくつか並んでるチセ(家)のなかに民芸品を作っておられる白い髭をたくわえた主人がいた。
その方は観光客向けに
木彫りの人形や
イナウという木を削ったお守りなどのキーホルダーやストラップをその場で作って売っていて
大体2000円前後の商品が並んでいた。
その中に見つけたのがこのメノコマキリ。
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値札には1万2000円と書いてあった。
いいものを見つけたと思い、「これください」と店の主人にいうと
その方がハッと息を飲んだのがわかった。
「・・・これを買うやつが現れた!!!」といった感じだろうか。

主人「・・・それ高いよ?」
と、おそるおそる確認してきたので
「ええ、1万2000円ですよね?」と答えると、喜んでいただき
あれこれとメノコマキリの話をしてくださった。
このメノコマキリは作中でアシリパさんが使っている。
登別クマ牧場へ行った際は是非、手に入れて欲しい。同じデザインのものがあるかも知れない。
後で知ったことだが、そのヒゲのご主人は貝澤貢男さんという高名な方のようでした。
http://www.bearpark.jp/sisetsu/yukara/index.htm



帰りもロープウェイで下るのだが、そこから「ホテルまほろば」が見えて
一緒にいたカメラマンの松田氏が興奮していた。
松田氏は「水曜どうでしょう」が好きで、
大泉洋が
「まほろば最高!!」と幾度も言っていた
あの「まほろば」が目の前にあったためである。
道産子じゃない人間に「水曜どうでしょう」が好きと言われると、なんとなく嬉しい。
道民の内輪ウケではなかったのだなというのが確認できるからかもしれない。
大泉洋が初めて全国区の番組に出た瞬間をおぼえてる。
あれはたしかパフィーの番組だったか。安室奈美恵などもいた記憶がある。
その中に上下ジャージ姿の大泉洋が登場した時ほど
全道民がテレビの前で固唾を飲んだ瞬間はなかったのではないか。




まほろばを見て興奮してる
松田氏を温かい目で見た。
東京に戻り、数日たって
松田氏が撮影してくれた分の資料が届いた。
アイヌの民具や熊の資料写真。
たくさんの資料の最後に入っていた写真がこれ。









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「いらねえよ」と舌打ちした。







画像についての雑記 その①

1/16/2015

 
なんか適当に画像を載せようと思う。
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実家に戻ったとき見つけた写真。
1986年1月5日。札幌雪祭り。
この時代にバキは連載されていないはずだが、なぜ
範馬勇次郎が雪像に?

と思ったらケンシロウだった。
86年ならば北斗の拳は単行本10巻くらいだろうか。10巻分で雪像が作られる人気。すごい。












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ホッケー雑誌ブレイクアウェイにしか載ってないカラーカット。
当時はスケート靴やスティックの実物の資料がなかったので下手糞だ。
当時はお金が全然なくて買えなかった。
連載中にちまちまと買い集めたり
ご好意で頂いたりしたおかげで、結局大きなダンボール三個分のホッケー道具がいまだに部屋にある。
でも処分することはないだろう。
ゲンマ兄貴と同じシャーウッド9980のレガースを持っていてる方がいたら、ぜひご一報を。
よろしかったら買い取らせていただきたい。




シャーウッドといえば、
下のイラストはレッドブルさんから依頼されてRed Bull X-Fighters Osaka の宣伝用に小冊子を描かせてもらった。
表紙の人物の名前がリーバイ・シャーウッド選手という。

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でも本当は佐藤英吾選手を描くはずだった。
佐藤選手はフリースタイル・モトクロスの先駆者であり、この競技をぜひ知ってほしいとのことで
福島まで、ご本人に会いに行く予定だった。
たしかその一日前だったか、夜中に佐藤選手のブログを読んで
なにか漫画で使える、
ご本人の生の言葉はないか探していた。
全部読み終わって、ふとヤフーニュースを見ると佐藤選手が数時間前に、練習中の事故で亡くなった記事を見つけた。



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日韓戦のとき、アイスホッケー連盟の方々に作っていただいたロウの日本代表ユニフォーム。
たしかスピナマラダ!3巻発売前だったと思う。
あの時は隅っこで本を売るから横にいるだけでいいとか言われて行ったけど、すっかり騙された。
試合直前にユニフォームの贈呈セレモニーなんぞをやって頂いて、リンクに立たされたり、
サイン会をやらされたりで本当に参った。人前が苦手だ。
サインしてるあいだ、帽子を深くかぶって誰とも目を合わさなかった。最低な態度だったと思う。
あの時は申し訳ない。でもサイン会なんて最初で最後だ。いい経験になった。
ユニフォームは今でも壁に飾ってある。













北海道取材で車を運転していた。ひとりで。
道東の野付半島。先っぽのほうまで道路がある。


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途中、遠くの電柱の上にバタバタと羽を整える鳥がいたのだが
妙にでかい。でか過ぎる。
近づくとオジロワシだった。





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野生のオジロワシを見たのは初めてだった。カッコ良かった。

知床で偶然知り合った猟師のおじいさんが
この時期ワシはあんまり見られないよと言われていたので運が良かったのかも。
ワシが見たかったら冬に知床へ行くといいらしい。メッチャいるそうだ。

その猟師のおじいさんが言うにはオジロワシの尾羽は
成鳥になると真っ白になる。
若鳥の茶色と白がマダラになってる尾羽が、矢羽根につかわれる高級品として取引され
昔は羽一枚が1万五千円で売れたんだと。それで密猟者に乱獲されたんだと言っていた。

ある日おじいさんが山に入ると、キツネにやられたのか
川岸にオジロワシの羽が散乱していたんだそうだ
「鳥を食っていった奴は当然、尾羽なんか興味が無いから肉だけ食っていったんだろうけど
俺には万札がバラ撒かれてるように見えたね」と笑っていた。このクソじじい。







ホロケウカムイ

12/18/2014

 
札幌の円山動物園にいるホロケウカムイの写真でも上げてみる。

ここにいる狼はカナダのシンリンオオカミで
絶滅したエゾオオカミに近い種。







物陰からこちらの様子を伺うホロケウカムイ
。
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彼の毛並みがカッコイイと思う。
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ホロケウカムイの ノ ク      (きんたま) 
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雪を食べるホロケウカムイ。
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壁を忍者のように駆け上がるホロケウカムイ。

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何がしたいのかというと・・・・。

























のぞき。
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おそらく高い塀の向こうの景色が見たいのだと思うが・・・・・。















何度も駆け上がって・・・
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のぞき
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のぞきが好きな狼の神。


いいポーズだが
作画の資料としては使いどころがない。










覚悟

12/11/2014

 
前作「スピナマラダ!」の話。

駒澤の陸トレの様子。死にかけているのは全員一年生。取材時は4月で入部したてなのだから無理もない。
緊張と不安が入り混じった顔が印象に残っている。

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徹底してやり抜く覚悟。

彼らにとってはすごく辛い3年間だが、充実しているに違いない。
自分は中学のとき部活で陸上をやっていたが、練習は放課後の3時間程度。引退したときは何の感傷も無かった。
本気でその競技に生活を捧げていなかったのだから当然だ。


地元の陸上競技大会で毎回ダントツの差をつけて優勝する有名な選手がいた。
1500Mで二位の選手と半周くらいの差をつけて勝つような。
彼の走る時間は大会で一番盛り上がった。
練習時間もケタ違いらしく、近くで見るとタメとは思えない体つきをしており、こんなすごい人間がいるのかと戦慄した。
いまから考えれば、たかだか札幌市内の大会だが、全道大会すら行けない、しょぼい子供にとっては世界の全てだった。
その後、彼は当然ながら1500Mで中学の全国大会まで行った。
しかしもっと驚いたのが、全国大会での彼の成績が4位だったのだ。

あのバケモノより早い奴が3人もいるのかと途方にくれた。
サンタナがカーズたちによって、ただの若造よばわりされた時の気分だった。

日本代表になるようなスポーツ選手の凄みを、低い低いレベルだが実感した。




さて、スピナマラダの本編で描こうと思ったが地味すぎてボツにした陸トレのネタがある。取材で実際に見た練習だ。
一周50秒ほどで走りきる山道のコースがあって、50秒を切れなければもう一度走り、
さらに切れなければもう一本。それで切れなければ・・・・
と延々走らされる過酷なメニューがあった。
全力で50秒。陸上競技でいうところの400メートル走だ。
これがいかにキツい距離なのかに関してはスピナマラダ3巻の冒頭に詳しく書いてある。
当然走れば走るほど体力が消耗するので、どう考えても終わらない。
しかし先生は妥協しない。絶対にタイムを切るまで走らせる。
結局どうするかというと、先輩たちがコースに等間隔で待ち構え、
ヘロヘロの一年生の腕をつかみ、引っ張り、リレーのバトンのように受け継いで走るのだ。
それで全員が無事タイムを切ったあとの様子が上の写真だ。
こんなのは陸トレのほんの一場面。こんなのが何時間も続き、それが毎日。三年間。
とある駒澤OBの選手が関東の大学チームに入って高校時代の練習内容をチームメイトに話しても、みんな「うそだろ?」と信じてくれなかったらしい。



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優勝する覚悟を持って準備するというのはこういうことなのだ。


ちなみにそのOBの方をYさんとする。
釧路出身で中学ではキャプテン。全国大会でも優勝した実績があるのにもかかわらず
素行が悪すぎて釧路ではどこの高校も受け入れてくれなかったのだが、駒澤だけが欲しいと言ってくれた。
しかし当時すでに駒澤の練習の厳しさは有名であったため、やっていく自信がなかった。
一年生の時は同年代と比べても足が遅く、演習林の
ランニングではいつもビリで付いていけなかった。
先生は森に隠れて双眼鏡で監視してくるのだが、隙を突いてはカメラのフィルムケースに水を忍ばせて飲んでいたそうだ。

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山王坂道ダッシュでは社殿にタッチするのを阻止してくる相手にカッとなったのか唾を吐きかけてしまい
それを見た
先生にビンタを食らったのだが、さらにその先生にまでタックルを食らわし、
二人で抱き合ったまま山王神社の崖のような坂道を転げ落ちた。めちゃくちゃな問題児だ、

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辛くて逃げ出したくて何度も親に泣き付いたらしい。
ある合宿で夜中、トイレから妙な音が聞こえてきた。
「カラカラ」「カラカラ」

ずっとトイレットペーパーの回る音がする。変だなあ、おかしいなーおかしいなー
やだなあ、こわいなあ。
トイレの個室を開けてみたらチームメイトがトイレットペーパーまみれでブツブツ言っていたらしい。
極限状態まで追い詰める過酷な日々。
「
月曜日が来るからサザエさんが怖くて見られなかった」 (これを話してくれたときは本当に笑った。)
オープニングの曲が流れると同じ寮の卓球部が面白がって知らせにくるらしく、Yさんは布団をかぶって悲鳴を上げていたそうだ。

しかしそれでもYさんは1年生の時、インターハイでベンチ入りした。
四つ目のラインで氷上に出る時間はほとんど無かったそうだが、当時駒澤は9連覇中の絶対王者。
そのベンチに一年で入ってるのだからすごい。

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10連覇のかかった大会。
試合は準決勝。第1ピリオド2-0でリードしていたが第2ピリオドで4点奪われ、1点返すものの3-4。
しかし第3ピリオドで同点に追いつき4-4。勝負は決まらず10分間の延長戦に入る。(得点した時点で終了するサドンデスではない)
延長戦五分過ぎで駒澤がゴール。勝負を決めたかに見えた。ベンチの先輩たちは涙を流していたそうだ。

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しかしYさんはそれを見て「やばい」と思った。「勝ったつもりで油断している」
案の定、そのあと同点に追いつかれ10分間の延長戦は終了。
そしてなんとゲームウイニングショット戦(サッカーでいうところのPK戦)で負けてしまったのだ。
もはや全員涙も出なかったそうだ。先生も選手も一切しゃべらず帰った。
そして別れ際、最後に先生がおっしゃったひとこと。

「分ってんべ?」

これだけだったそうだ。
叱るわけでもなく慰めるわけでもなく、三年間の最後の試合でかけた言葉
が、このひとことだった。

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この言葉の意味をYさんが教えてくれた。

とにかく先輩たちが練習で楽をしようとするのだと。
ランニングでも先生の眼を盗んでは近道を通ったり。サボり癖が蔓延していた。
そんな先輩たちを後輩も信頼できるはずが無く、チームの仲は最悪だったそうだ。


優勝する覚悟が無かったのだ。


先生はそれに気付いていたのかもしれない。気付いていたが修正に間に合わなかったのだろうか。
「たまたまそういう選手が集まってしまったのでしょうか。豊作の年があれば不作の年があるみたいな。」
そう聞いてみたが、その質問に先生がどう答えたかは書かないでおく。

翌年、Yさんたちを主力とした駒澤は王座を奪い返し、そこからまた連覇が始まった。
Yさんは三年生で駒澤のキャプテンとなる。釧路出身者としては初のキャプテンだった。


現在Yさんは日本代表選手だ。






儀式

10/18/2014

 
前作「スピナマラダ!」の話。






強豪といわれるチームには、独特な
伝統がある。
勇払高校のモデルとなったのが駒苫なんだが、このチームにもいろいろとある。
試合開始直前の円陣、これはこのチームしかやらないスタイルだ。作中で使わせてもらった。
決勝戦でしかやらない形。
長く低い雄たけびを波のように繰り返す。結構長くて20秒くらいやってる。


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初めて見た時はパールジャムのジャケットみたいでカッコイイなと思った。
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やはり地元のホッケー少年はこの円陣に憧れるんだとOBの方がおっしゃっていた。




予選とかでは下のようなスタイルであっさりと済ませる。
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駒苫は現役の選手でさえ意味が良く分らない儀式を、決勝戦直前のロッカールームでやったりするらしい。
一年に一度、全国大会の決勝戦でしかやらない儀式。
それがまた強豪チームらしくてとても良い。
これらの儀式は選手の集中力を引き上げる技術なんだとOBの方はおっしゃっていた。
先生はそういう人心掌握術がうまいんだと。

いろいろと聞かせていただいた中の一つ。
ロッカーで先生が腕を組んでのけぞり、先輩たちが後ろでささえ、
先生がひとりで校歌をものすごい大声で歌ってくれる。声が裏返って絶叫しながら歌う。
最初は一年生も吹きだしてしまうそうなんだが、そのうちいろんな想いがこみ上げてきて涙がこぼれて来たらしい。


こういった儀式によって、ある種トランス状態になった駒苫の選手は
決勝戦のフェイスオフ直前にもなると「目の色が違う」とおっしゃっていたのが印象に残った。
三年間寝食を共にしたチームメイトの顔つきが違って見えるんだから相当なものなんだろう。

この話を聞いたとき、校歌は大事なモチーフになると確信したので、作中の歌詞は自分で作った。




優勝した瞬間。

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本編で使いたかったが割愛したネタがある。
優勝のセレモニーが終わり、選手たちがチームメイトをひとりずつ胴上げするシーンだ。

チームメイトひとりひとりの名前を全員で呼ぶ。呼ばれた奴はリンクを逃げまくる。みんなで追い掛け回して捕まえて胴上げ。
これも駒苫がインターハイで優勝したときにだけやる伝統。
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はじめて見た時を鮮明に覚えている。


観客が誰もいなくなり、照明も落とされ、薄暗いリンクでひたすらはしゃいで、
いつまでもいつまでも追いかけっこをしてる選手たち・・・。

全ての重圧から解放され無邪気な子供に戻った選手たちの顔。




















もし勇払がやるならこんな感じになるだろう。
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でも結局、このシーンがあると間延びするんで本編のラストがベストだった。

実際の駒苫の追いかけっこもムッチャ早いバックスケーティングで逃げ回ったりするので上のイラストは大げさではない。
全力で決勝を戦ったあとなのに・・・
しかも前日ダブルヘッダーで朝と夕方に戦ったあとなのに・・・
タフすぎる。

実際、駒苫は決勝戦よりも、前日の二試合目のほうが動きが良いのだそうだ。恐ろしい練習量の成せるワザ。







胴上げが行われるちょっと前の風景。円陣で校歌をうたう。

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そしてその様子を横目に、負けたチームのGKが去って行くのを見つけて思わず撮る。
いつかこのシーンを最終回で描きたいと思っていた。


連載が決まる、ずっとずっと前のことだ。
写真は作中で、このまんま使われている。
リンクも同じ日光霧降アリーナ。











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会場から外に出ると飛行機雲。

おなじく最終回で使った。
あの飛行機雲は主人公たちが飛行機で帰ったということを表したつもりだったが
はたして千歳行きの飛行機は日光上空を通るのか・・・。

調べないで欲しい。
知らないほうがいいことはある。




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最終回ついでに・・・・

ロウとハルナが池で会話するシーン。
亡くなった母親が、幼い頃どのへんでスケートしていたんだろうね、とふたりで話す。


これの元ネタは「北の国から」だ。
スピナマラダは最初から北の国からを意識していた。
東京から出てきた純が田舎の不便さ、自然の厳しさにブツクサいうあの感じ。

北の国からは
全24話までの連続ドラマ版が好きだ。
連続ドラマ版、最終回の純のナレーションが特に好き。


純と蛍の母親が生前、二人へ残した手紙に富良野の雲が綺麗だったと書かれており、
それについてのナレーションでドラマは終わる。


「母さん
・・・・
今日も雲が
綺麗です・・・・。母さんが見たっていう雲はどれだか分かりません。
だけど、その雲を、ボクと螢はどれだったんだろうと時々話しており
・・・・。 」







スギモトサイチのこと

9/25/2014

 
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上から18年式、30年式騎兵、30年式
ドラマ「坂の上の雲」で小道具として使われたものをお借りした。
木材と金属で作られたもの。
三丁持って帰ったが、とんでもなく重い。
お借りした製作所にて、横に長いアタッシュ
ケースに銃をいれ、
担当さんと二人で近くの駅まで歩いたのだが、気分はゴルゴ13どころじゃなかった。
ヒーコラヒーコラバヒンバヒンと茶魔語を言いながら歩いた。


一番下のは「ゴールデンカムイ」主人公・杉元佐一が持っている銃。実物は4kgらしい。
これはボルトが稼動する程度の鉄の塊なので実物よりは重いはずだ。
構えているところを撮影してもらうが、重くて腕が下がってくる。
当時の日本人の平均身長は150センチ程度。
こんなものを持って走り回っていたのかと思うと、当時の人間はタフだったんだなあと感慨にふける。



自分の曽祖父は屯田兵だ。
恥ずかしながらつい何年か前まで曽祖父のことについてあまり知っておらず、
新連載の題材を探していたときに曽祖父を思い出し、父に詳しいことを聞いてみた。




曽祖父は第七師団、歩兵27連隊乗馬隊に所属していた。
いわゆる「北鎮部隊」だ。
作中では悪役にされているが、自分は
曽祖父が
北鎮部隊だったことに誇りを感じている。


曽祖父は一等卒として 日露戦争に出征しており、
激戦地であった旅順攻囲戦の二百三高地、その後の 奉天会戦に参加していた。

疎いひとに簡単に説明するなら、数々の映画、ドラマ、小説にもなった有名な戦いで
とにかくムッチャクチャ死んだ。


ある時、曽祖父のいた500名程度の大隊が2,000人のロシア兵に包囲された。
絶体絶命の状況で上官は、この包囲網を突破し味方の援軍を呼ぶ任務を、ある兵士に命じた。
それが曽祖父だった。
任務にはもう一名選ばれ、曽祖父は馬に乗り、ロシア兵の包囲網の中を全力疾走する。

鉄砲の弾が曽祖父の体をかすめ、弾が耳元を音を立てて何発も通り抜ける音が聞こえた。
このとき不思議と二人にも、乗っているそれぞれの馬にも弾は当たらなかったそうだ。

任務を命じた上官も「二人とも助からんだろうなぁ」と半ばあきらめていたらしい。
しかし曽祖父たちは無傷で包囲網を突破。
4000人の援軍を連れて戻ってきた。
それを見たロシア兵は蜘蛛の子を散らすように逃げて行ったそうだ。
部隊に戻ったとき大隊長が曽祖父を抱きかかえて迎えてくれ、大隊は一人の死者も出さずに済んだ。
その功績が認められ、曽祖父は二階級特進。金鵄勲章を賜ることとなり、死ぬまで結構な額の年金を貰っていた。




曽祖父の名前は杉本佐一だ。


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右から二行目に「上等兵 杉本佐一」とある。
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その後、60代まで生きた曽祖父は第二次世界大戦中に自宅で亡くなった。結核だった。

ちなみにゴールデンカムイの主人公は名前を借りただけに過ぎない。
自分の
曽祖父を描いてるつもりは一切無い。まったくの別人と考えている。




曽祖父を「英雄だ」なんて自慢するつもりはさらさら無い。
英雄と呼ばれるにふさわしい人物に比べれば、それはおこがましい。

ただ自分と血がつながった身内で、今の自分よりもっともっと若い時分の曽祖父が遠い異国の地で
血みどろの戦争を生き抜き、500名の命を救い、名誉とマネーを掴んだという話に、胸が熱くなる。
二十代だったときの自分、何者でもなかった自分の惨めさと比べてしまう。
自分の人生でこれまでも、これからもそんな経験ができるイベントはおそらく無い。戦争なんて無いに越したことはないんだが。

ロシア兵の銃弾が一発でも曽祖父に当たっていれば自分は今ここに存在していなかったのかと思うと
もっと真摯に生きようとも考える。



映画の小道具である、ひどく重たい三十年式歩兵銃を持ったとき、
ほんのわずかだけ曽祖父と同じ思いを感じられた気がした。

曽祖父も「この鉄砲、重てえなぁ」って思ったはずだ。

網走監獄

9/8/2014

 
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取材で北海道の網走監獄博物館へ行ってきた。

ひとりで。


広大な敷地の中に当時の建物を移築復元させた野外博物館。
ネットで下調べをしていて、画像をいくつも見ていたとき、どうも違和感があった。
ネットにあるたくさんの画像には、すべて正門に扉が無い。
監獄の厳重な門なのだから、きっと当時は木製の重厚な扉があったはずだと。
扉までは復元されてないのだろうかと思っていた。
ゴールデンカムイの一話に正門を描くつもりだったが
扉が開いてるような門だと厳重に見えない。



札幌から旭川を経由して、
汽車で7、8時間くらい。(電車のことを汽車というのが真の道産子)
せめて昼間なら車窓から見える景色を楽しめたのに、旭川から先は真っ暗闇だった。明かりひとつ無い。

23時網走に到着。ホテルは予約して無い。適当な安宿に飛び込む。
ベッドに倒れこむと、あまりの硬さに驚く。床に倒れたかと思った。
いやいや贅沢だ。ハングリーさを失ってはいけない。
漫画家を志し上京してきたときは南千住の2000円の宿に何週間か泊まっていた。
当時の南千住はまだまだドヤ街の雰囲気が残っていてホームレスが三人、
普通の公道で敷布団と掛け布団を、きっちり三つ縦に並べて寝ていたのを見てカルチャーショックを受けたものだ。
周囲とのギャップがものすごく、「元気が出るテレビ」の寝起きドッキリか何かにみえた。
いまどきコンビニを出たら地べたに座ってるホームレスに空き缶を鳴らされ小銭を催促されることがあるだろうか?
どこのニューヨークかと思った。それが当時の
南千住だった。
「北海道へは帰らない。漫画家になれなければ俺はあそこで四つ目の布団を並べて寝るのだ」と、そのとき決心した。


話がそれた。
そんなこんなで翌朝、ようやく網走監獄へ。
門の中へ入ってから裏を見ると、








やっぱりあった。扉が。

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「ほれ見てみろ!こういうことだ!」と叫んだ。

何を興奮してるんだと思われるかもしれないが作品づくりにディティールは大事だ。
現地へいって、実物を見てくることの大切さ。

前作「スピナマラダ!」だってそうだった。、書籍やDVDなどで試合の
写真や映像の資料はいくらでも手に入るが
大会のスタッフや、その機材、観客や報道陣、選手や監督の掛け声、休憩時間の様子などの資料はどこにも無い。
現地でしか
得られないもの、気付けないものはたくさんある。
作者自ら足を運んで体験したことが作品の世界観に説得力を与える。

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話はかわるが、
自分が小学生の頃、隣の家のオッサンが観光で「網走監獄に行って泣いた」という話を聞き、笑い転げた。
当然
オッサンは博物館の展示物を観て、当時の囚人たちの過酷な日々に思いをはせて涙を流したわけだが、
アホな小学生なので「網走監獄に行って泣いた」というフレーズがツボに入った。
「ディズニーランドへ行ってパレードに感動して泣いたならわかるが、何で『網走監獄』で、
しかも『囚人』を想って泣いてんだよ」って感じだったと思う。
その日から話題で隣の
オッサンが出てくると「ああ、網走監獄に行って泣いたオッサンね」と言っては笑い転げていた。

そして2014年。自分は網走監獄で泣いたオッサンになった。

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脱獄囚Tシャツをお土産に買った。左胸の網走監獄のロゴがかっこいい。仕事中に着ている。近所のスーパーにもこれで行く。



網走監獄博物館へは事前の連絡無しに、まったくの観光客として入った。職員の方たちに取材で来た事など、一切告げず東京へ帰ってきた。
後に知ったことだが、なんとここの館長さんは前作スピナマラダを好きで読んでくださっていたらしい。
嬉しかった。
道東へ観光に行かれたときは是非寄ってみて欲しい。知床や摩周湖などとセットで行くと北海道を満喫できる。

大自然の写真をたくさん撮ったが、家に帰って見返しても現地へ行って感じた壮大さは
半分も伝わってこない。







三毛別

8/28/2014

 
5月、取材で北海道苫前の三毛別羆事件現地へ行った。

ひとりで。

大正時代に
発生したヒグマによる7名の食害事件。
詳しく知りたい人はウィキとか小説の羆嵐を読んでもらいたい。

ここは一本道を延々20キロ、アスファルトから砂利道にかわり、道の終わりにある。
人っ子一人いない。ここに行き着く道の入り口から20キロ、誰にも会わなかった。
怖かった。カメラではヒグマと戦えない。


三毛別の人食いヒグマは女性だけ食べたらしい。おそらく最初に女性の肉の味をおぼえたのだ。
もしも自分が食われたら、その熊はマイナーな漫画家だけを好んで食べるようになるだろう。

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自分がまだ札幌にいたころは夜中に心霊スポットへ、よく行ったものだ。
ここにも行っていたらダントツで怖かったんじゃないだろうか。もちろん別の意味で。


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小屋の中はつまらないものしかない。
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デカ過ぎる。事件の記録では体重が380キロとなっているので、これは大げさだ。



下の写真は苫前の郷土資料館に展示されている
北海太郎と名付けられたヒグマの剥製。
幻の巨熊と呼ばれていた。
昭和55年。ベテランのハンターが8年の追跡の末、ようやく射止めたらしい。
そっと帽子を乗せてみる。
体重は500キロ。
500キロでこれだから、やっぱり上の
クマ像は大げさだ。

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この剥製サイズのクマ像を例の小屋の中に入れといたほうが怖いだろう。
ちなみに三毛別羆事件で人食い熊を撃ち取ったのは日露戦争帰りの元兵士だ。

北海太郎の剥製がある資料館には三毛別事件のジオラマも展示されている。
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すごいセンス。
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どういうつもりでリカちゃん人形の顔を灰色に塗ったのだろうか。モノクロの世界観を表現したかったのだろうか。
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笹を小さくすれば少しはマシになると思う。このままではゴミにしか見えない。


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苫前からさらに北へ北へ。最北端に向かった。
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いけどもいけども、この景色。




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    週刊ヤングジャンプ
    「ゴールデンカムイ」連載中

    既刊
    「スピナマラダ!」全6巻

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